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インタビュー 久坂部羊 『虚栄』インタビュー 久坂部羊 『虚栄』

日本人の死因で最も大きな割合を占める、がん。現役医師でもある久坂部羊さんが新作の題材として選んだのは、そんながん撲滅を目指す医師たちの生々しい人間模様でした。リアルで恐ろしい物語に込めた思いとは?

久坂部羊『虚栄』

凶悪化がん治療国家プロジェクト「G4」の発足に、外科医・雪野は期待を抱いた。手術、抗がん剤、放射線治療、免疫療法。4グループの邂逅は陰謀に満ちた覇権争いに発展。がん医療の最先端をサスペンスフルに描く!

本体1,700円(税別) KADOKAWA

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くさかべ・よう

1955年、大阪府生まれ。作家・医師。2003年、小説『廃用身』でデビュー。14年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。小説に『破裂』『無痛』『芥川症』『いつか、あなたも』、エッセイに『ブラック・ジャックは遠かった』など、医療分野を中心に著書多数。


医師とマスメディアの「虚栄」

——国を挙げてがんを撲滅しようというプロジェクトが立ち上がり、手術、抗がん剤、放射線、免疫療法の医師たちが、予算をめぐって争い始めたら……。とてもリアルで恐ろしい物語でした。発想はどこから?

久坂部 もともとそういうところから発想したんですよ(笑)。がんの治療法といえばその四大治療法ですけど、患者さんは、それぞれが補い合い、協力し合って治療してくれるだろうと思っているでしょうね。医者も表向きそういう顔をしていますけど、実際は、四つのうち飛び抜けて有効な治療法がないからそうしているだけ。もしもどれか一つでがんが治ってしまうと、そのほかの出番がなくなってしまう。医者の側もそのことをつねに意識しているはずだと思うんです。もし本当に有効な治療法が見つかったら、ほかの治療法をやってきた医者たちはたいへんですよ。そこから発想しました。

——久坂部さんも医師として、二十代の頃に外科を経験されていますよね。

久坂部 ええ。医者になりたての頃は、がんを治療したい、あるいは、できれば新しい治療法を開発してがんを治せるようにしたいと思っていました。しかし現実はそんなに甘くなかった。まだ早期で大丈夫だと思われていた人が急に亡くなったり、末期でもうだめだと言われている人が助かったり、不条理な現実がたくさんありました。死んでいくときも、苦しみながら死ぬ人と、そうでない人がいる。いろいろな人がいて、すごく悩みましたね。

——第三回日本医療小説大賞を受賞した『悪医』では、がんをめぐって、医師と患者の心のすれ違いが描かれていました。『悪医』を書いたことはこの作品に影響していますか。

久坂部 『虚栄』を構想したのは八、九年前で、『悪医』よりもずっと前です。がんという大きなテーマだったので、なかなか書き始められずにいました。巻末に新聞や雑誌の記事を参考文献として挙げていますが、一番古いものは十一年前。昔から興味を持って切り抜いていたんです。なぜ興味を持ったかというと、がんに関してこんな新しい発見があったよ、といういいニュースはたくさんあるんですが、その後実用化されたものはほとんどないんですね。そこに私は疑問を感じたんです。というのは、いまの患者さんはすごく勉強しているので、新聞にこんな治療法が載ってました、ネットでこんな情報を見つけました、と切り抜きやプリントアウトを医者のところに持ってくるんです。自分の問題として切実に受けとめて、藁をも掴むような気持ちで病院に来ている。その状況を見ていると、いい話ばかり書いて後追いしないマスメディアの姿勢は無責任だと思ったんです。

——メディアの側もよかれと思って伝えようとしていると思うんですが、希望だけ持たせても、ということですね。

久坂部 新聞記者の友だちがたくさんいるのでどうしてそうなるのかと聞くと、がんに有効かどうかわからないという記事は誰も読まないと言うんですね。見出しではいまにも解決しそうに書いて、よく読むとあくまで可能性だとちらっと書いてある。それがマスメディアのやり方だとしたら、受け手である我々はリテラシーを持たないといけない。『虚栄』というタイトルには、医療者の虚栄と、マスメディアの虚栄という両方の意味を込めています。

——『虚栄』はがんの四大治療に携わる人びとと、彼らを取り巻くマスメディアを大きな枠組みで描いた、まさに大作です。どのように組み立てていったんですか?

久坂部 エンターテインメントとして面白いものにしたかったので、陰謀や裏切り、暗躍を入れたいと思いました。その上で、ゴールは決めずに一枚ずつ書いていきました。私のほとんどの作品がそういう書き方なんですが。

——詳細な構成は決めずに書かれるんですか。

久坂部 そうですね。うすぼんやりと、なんとなく最後はこういう展開になるんじゃないかという気はしていましたけど、途中のストーリーは書きながら変わっていった部分も多いんですよ。四つの治療法それぞれに教授、准教授、筆頭講師と三人ずついるので、なかにはイメージがないままに書き始めた登場人物もいたんですが、物語のなかで動かしているうちに、予想外の動きをする人物もいました。スパイ行為をする人間が出てきたりね(笑)。


医師への期待値を下げる

——実際のところ、四大治療に携わる医師たちは競争しているものなんですか?

久坂部 そんなことはないですね。有望な治療法がないのが現状なので。手術で治る場合もありますが、治らないときにはがんの進行を遅らせるために抗がん剤を使う。放射線が効くがんは限られているし、免疫療法はまだこれから。だから棲み分けはできているんです。患者を取り合う状況ではないですね。

——『虚栄』では「G4」というがん撲滅の国家プロジェクトが始まりますが、巨額の研究予算があったら、それをめぐる暗闘もありえるということですね。

久坂部 ええ。それに加えて、医者の本性といいますか、人間らしい面を描きたかった。患者さんからすると、医者は病気を治してくれる専門家。美化しやすいと思うんです。でも、実際は決してそうじゃないんですよ。医者も人間ですから。それも、どちらかというとエリートで、努力している分、プライドも高い。患者さんよりも自分が大事、というどろどろとした部分もあるんです。そういうことをわかってもらったほうが、患者さんの医者に対する過剰な期待値が下がる。それは医療にとってとてもいいことだと思います。医者も楽になるし、患者さんもがっかりしなくなりますから。

——がんに関わる医師が何人も登場しますが、それぞれのどろどろとした部分だけでなく、バイタリティや人間くささも描かれていて、魅力を感じました。医師には個性的な人がたくさんいるんですか?

久坂部 昔はいましたね。そうでないと出世できないですから。私は麻酔科にいたこともあるんですが、麻酔科は各科の先生の手術に付くわけです。そのときに、外科の先生方のホンネが聞こえてしまう。悪口と足の引っ張り合いと、おべんちゃらと(笑)。笑っちゃいましたけど。

——久坂部さんは当時から、人間を観察する小説家の目で医師たちを見ていたわけですね。

久坂部 そうですね。とくに患者さんの前で見せる姿と、裏で見せる姿の違い、二面性みたいなものはとても人間らしいなと思っていました。裏表なく善意で通せる人はあまりいないですよ。

——『虚栄』のなかでは外科の筆頭講師の雪野が善意の医師ですね。

久坂部 『虚栄』のなかでいちばんウソくさい人物です。優れていて性格のいい人なんてほとんどいないですよ。優れている人はだいたい性格が悪いし、性格がいい人は得てして無能だったりする。それはどこの業界でも同じじゃないですか? 性格が悪くて無能な人はいっぱいいますけど(笑)。

——思い当たる読者も多いかもしれません(笑)。ところで、『虚栄』には研究者として業績を上げるためにデータを改竄してしまう医師も登場します。最近、生命科学の世界で話題になったことが医学の世界でもありえると。

久坂部 すでにたくさん起こっていますよ。研究者は結果が出るまでにものすごい努力を積み重ねているんです。しかも世界レベルで競争が行われていて二着では意味がない。実験でいい結果が出たとして、論文を書いて発表するまでの間にほかの誰かが発表したらアウトなんですよ。そういう状況にいる研究者たちが、ついつい実験結果の確認を十分せずに見切り発車したり、データの誇張みたいなズルをしてしまう。マスメディアから見ると、医学者が論文を捏造したり、盗作したりするのはけしからん、と単純に割り切りますが、研究している側からすればそんな単純な話ではないということもわかってほしいですね。

——また、四大治療そのものを否定する、がん放置派の医師も登場します。がんには治るがんと治らないがんがあって、それを見分けることはできないから治療は意味がない、という理論です。近藤誠さんの「がんもどき」理論と同じ考え方ですが、近藤さんの著書も参考文献にありましたね。

久坂部 がんにはまだわかっていない面が多いということを示すために、近藤先生の理論はひじょうにわかりやすいんです。近藤理論は仮説です。でも、いまやっている抗がん剤や手術も仮説なんですよ。一般の人は、病院でやっている治療法は権威があって、根拠があって、確定しているものだと思っているでしょう?

——思っています。

久坂部 それは違うんですよ。百年後、二百年後にがんの正体がわかったら、昔はこんなことをやっていたのか、と言われる可能性は高いですから。でも、いまはそれしかないからやっているというのが実態ですね。

——がん放置派の医師と、最後まで治療をあきらめないニュースキャスターの対決も印象的でした。

久坂部 どちらが正しいかは結果論でしかないんですよ。治療はやってみないとわからないことが多いので。でも、がんになったときに、心の準備ができていなかったり、持っている情報が少なかったりすると、ただただ医者に助けてほしい、治療してほしいというだけになってしまう。そうすると、患者さんは信じて裏切られて傷ついたり、残り少ない時間を無駄に使って後悔したりと、納得のいかない最期を迎えることになってしまう。そうならないためにも、がん治療や医者に対して冷静な目を持ってほしいんです。

取材・文|タカザワケンジ 撮影|ホンゴユウジ

「本の旅人」2015年10月号より転載
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