- ISBNコード
- 9784043782017
- レーベル
- 角川ソフィア文庫
- 商品形態
- 文庫
- サイズ
- 文庫判
- 商品寸法(横/縦/束幅)
- 105 × 149 × 11.0 mm
- 総ページ数
- 288ページ
実在しなかった聖徳太子を日本人はなぜ崇拝し、信仰の対象としたのか
日本の歴史全体を通じ、極めて大きな存在感を持つ聖徳太子。しかし聖徳太子は実在の人物ではなく、720年に完成した『日本書紀』において、律令国家の主宰者である天皇のモデルとして創造された人物像であった。ではなぜ、古代の日本人は〈聖徳太子〉という架空の理想的皇帝像を必要としたのか。そしてそれは、天皇制の成立や歴史とどのように関わっているのか。近年の聖徳太子論をリードしてきた第一人者による渾身の書。
目次
第一章 聖徳太子は実在しない
本物と贋物
聖徳太子は「本物」か
廐戸王は聖徳太子か
憲法十七条の疑念
突然出現した『三経義疏』
後世の手になる「天寿国繍帳」
聖徳太子は実在しない
第二章 聖徳太子研究の壁
強固な先入観
歴史書は間違っているのか
皇国史観
飛鳥時代研究がなぜ難しいか
記録を残さない日本人
根強い聖徳太子信仰
天皇制との関係は
第三章 聖徳太子の作者は誰か
大化改新から大宝律令へ
大宝の遣唐使がもたらした衝撃
藤原不比等と長屋王
両雄決裂
長屋王の勝利
中断された『古事記』
養老の遣唐使、帰国す
キーマンは道慈
第四章 『日本書紀』にみる三つの顔
聖徳太子を必要とした古代国家
仏教関係記事──道慈の構想
薨日をめぐる謎──玄奘三蔵と聖徳太子
儒教関係記事──不比等の深謀
道教関係記事──長屋王の幻想
新羅コンプレックスからの脱出
なぜ廐戸王が聖徳太子になったのか
第五章 法隆寺と聖徳太子
法隆寺系史料の検証
「薬師像銘」の疑問──〈天皇号〉の使用
「釈迦像銘」の疑問──〈法興〉と〈法皇〉
法隆寺系史料の成立年代
くいちがう「薨日」
第六章 聖徳太子信仰の誕生
長屋王家の滅亡
武智麻呂・光明子の政権
災異発生
「聖徳尊霊」
二月二十二日の意味
法隆寺系史料の創造
聖徳太子信仰の確立
若き妃
第七章 聖徳太子転生
鑑真の来日
『恵思転生説』
恵思禅師
最澄は聖徳太子の玄孫?
「伊予湯岡碑文」の真贋
「法起寺塔露盤銘」の疑問
第八章 聖徳太子と天皇制
聖徳太子の「偉大さ」とは
土着日本との融合
網野善彦と吉田孝の歴史認識
日本は小さな島国か
国家は虚像か
聖徳太子は「王族」の意味
天皇制成立試論……縄文・弥生時代
王権の成立へ
纒向は東西の接点
王権は氏族の合議体
聖徳太子と天皇制
終章 〈万世一系〉の誕生
近代史学と聖徳太子研究のあゆみ──解説にかえて──吉田一彦
あとがき
文庫版あとがき
関連年表
本物と贋物
聖徳太子は「本物」か
廐戸王は聖徳太子か
憲法十七条の疑念
突然出現した『三経義疏』
後世の手になる「天寿国繍帳」
聖徳太子は実在しない
第二章 聖徳太子研究の壁
強固な先入観
歴史書は間違っているのか
皇国史観
飛鳥時代研究がなぜ難しいか
記録を残さない日本人
根強い聖徳太子信仰
天皇制との関係は
第三章 聖徳太子の作者は誰か
大化改新から大宝律令へ
大宝の遣唐使がもたらした衝撃
藤原不比等と長屋王
両雄決裂
長屋王の勝利
中断された『古事記』
養老の遣唐使、帰国す
キーマンは道慈
第四章 『日本書紀』にみる三つの顔
聖徳太子を必要とした古代国家
仏教関係記事──道慈の構想
薨日をめぐる謎──玄奘三蔵と聖徳太子
儒教関係記事──不比等の深謀
道教関係記事──長屋王の幻想
新羅コンプレックスからの脱出
なぜ廐戸王が聖徳太子になったのか
第五章 法隆寺と聖徳太子
法隆寺系史料の検証
「薬師像銘」の疑問──〈天皇号〉の使用
「釈迦像銘」の疑問──〈法興〉と〈法皇〉
法隆寺系史料の成立年代
くいちがう「薨日」
第六章 聖徳太子信仰の誕生
長屋王家の滅亡
武智麻呂・光明子の政権
災異発生
「聖徳尊霊」
二月二十二日の意味
法隆寺系史料の創造
聖徳太子信仰の確立
若き妃
第七章 聖徳太子転生
鑑真の来日
『恵思転生説』
恵思禅師
最澄は聖徳太子の玄孫?
「伊予湯岡碑文」の真贋
「法起寺塔露盤銘」の疑問
第八章 聖徳太子と天皇制
聖徳太子の「偉大さ」とは
土着日本との融合
網野善彦と吉田孝の歴史認識
日本は小さな島国か
国家は虚像か
聖徳太子は「王族」の意味
天皇制成立試論……縄文・弥生時代
王権の成立へ
纒向は東西の接点
王権は氏族の合議体
聖徳太子と天皇制
終章 〈万世一系〉の誕生
近代史学と聖徳太子研究のあゆみ──解説にかえて──吉田一彦
あとがき
文庫版あとがき
関連年表