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写真と哲学のコラボ。「折々のことば」の著者による珠玉のフォトエッセイ。
「折々のことば」の著者として、なにげない表現や言葉を新鮮な視覚から読み解き、日々人生を考えるヒントを与えてくれている哲学者・鷲田清一。一方、「UEDA-CHO(植田調)」と称されて、その演出写真が再評価されている世界的写真家・植田正治。本書は、その写真の「まなざし」に深く傾倒し、自らの臨床哲学に通底する思考と共振する数々の写真をそれぞれのエッセイに配し、それらが相乗的に交響して新境地を拓いたフォトエッセイ集です。鷲田清一の「やさしい哲学」は、以下のような文章から成っています。時が翔ぶ。場所が翔ぶ。まなざしを翼にして。
わたしがほんとうに〈わたし〉を意識するのは、他人にまなざされ、言葉を差し向けられること、つまりは他人の意識の宛先としてである。
じぶんの顔はじぶんでは見えない。本質的に顔は関係のなかにあるのであって、けっしてそれだけで自足している存在ではない。
写真はさまざまな距離を置いて、ひとに、物に向かう。写真にはどうしても隔たりというものが要る。だから、砂丘のように遠近をとりにくい空間にひとや物を置くと、いきおい関係が並列されて、すべてのひとと物が等価になる。
それにしても、ここに立ち現れる《リアリズムの抽象力》とでも呼ぶべきものは、いったい何に触れようとしているのだろう。写真は時間を遮断するが、そのことで立ち上がってくる存在感情とはどのようなものなのだろう。
「癒されたい症候群」という流行がある。みんななにかに癒されたいとおもっていることじたいがひとつのシンドロームになっている。……癒すのではなく、癒してほしい。信じるのではなく、信じさせてほしい。愛するのではなく、愛してほしいのでもなくて、愛させてほしい…。受け身のきわみである。
著訳者プロフィール
●植田 正治:1913年、鳥取県境港市生まれ。写真家。写真雑誌の「月例」の常連入選者として注目される。鳥取砂丘をバックにした演出写真は「UEDA‐CHO(植田調)」と呼ばれ世界的に高い評価を得る。1989年第39回日本写真協会功労賞、95年植田正治写真美術館開館。96年フランスより芸術文化勲章を授与。写真集・作品集多数。2000年逝去。2005年頃から再評価され、多くの回顧展・作品集が出された。
目次
1 顔
あなたはうつくしい
顔の渇き
2 跡
花を贈る
土を殺す
心のたなびき
墓標としての〈わたし〉
3 肌理
まさぐる
タッチング
身をくるむものを失って
とりとめのない話
寂しい光景
ときめく時間
4 空
風に弔う
身をほぐすということ
死なないでいる理由
スポーツはいい
5 間
間ぬけの正ちゃん
うろちょろ
聴くということ
屋久島の宿
6 距離
親密な空間
力をもらう
ささえあいの形
もたれあうのではなく
ホスピタブルな夏
おんぶ
他人の背中
すすんで盲になること
掲載作品リスト