慈悲の名君 保科正之

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慈悲の名君 保科正之

1,760円(税込)
発売日2010年02月10日
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  • ISBN コード : 9784047034587
  • サイズ : 四六判 総ページ数: 288ページ
  • 商品寸法(横/縦/束幅): 127 × 190 × 18.0 mm
  • ※総ページ数、商品寸法は実際と異なる場合があります

現代にこそ見直したい、「稀代の名君」が残した国家運営の手腕と思想!

徳川幕政を文治主義へと導き、為政者の鑑と語り継がれた会津藩祖・保科正之。明暦の大火や玉川上水開削問題で見せた指導力、社倉や老養扶持を会津藩内に実現させた先見性など、名君の足跡を現代に蘇らせる。

〈目次〉
   はじめに

第一章 将軍家の御落胤
    秀忠の秘密の側室
    幸松の誕生
    見性院にもらわれて
    保科家へ養子入り
    保科家の相続問題
    願いは父子の対面
    保科肥後守正之となる
    家光の視線

第二章 高遠・山形藩の藩政
    高遠藩主時代の政治
    山形入りに際して
    「後家中御仕置書」と「会津藩家訓」
    民政に力を注ぐ
    天草・島原の乱を評す
    白岩農民一揆に対する果断
    「半天下の勢い」

第三章 会津入りと「託狐の遺命」
    公称二十三万石、実質二十八万石
    税金を帳消しにする仁慈の精神
    孝行者表彰のはじまり
    「託狐の遺命」を拝して
    家綱政権の船出
    由井正雪と慶安事件
    第二の幕府転覆計画
    朱子学へのめざめ
    家綱の性格

第四章 将軍輔弼役としての行動
    万民の便利安居を以て第一とす
    明暦の大火に発揮されたリーダーシップ
    名采配と慈悲の心
    喪に服さぬ覚悟
    江戸の復興と天守閣再建問題
    官位昇任辞退
    殉死を禁ず
    「三大美事」の達成

第五章 諸藩の救済と指導
    飯野藩保科家の場合
    磐城平藩・窪田藩の場合
    米沢藩正室毒殺事件
    米沢藩を断絶させず
    南部藩との養子縁組を辞退
    伊達騒動の穏便な裁定
    越後騒動の裁定との違い

第六章 会津藩政に見る先見性
    家臣団構成の二大特徴
    納税法の変更
    会津藩独特の社倉制度
    飢饉の年にも餓死者なし
    なぜ人口が急増したか
    養老扶持制度と救急医療制度
    酷刑の廃止

第七章 加賀百万石への影響力
    優先すべきは「世人の利便」
    白山騒動と浦野事件
    加賀藩政のモデルは会津の藩政

第八章 思索の背景を探る
    吉川神道との出会い
    「会津藩家訓」の制定
    死への準備

    おわりに
    参考文献

著訳者プロフィール

●中村 彰彦:1949年、栃木県生まれ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。94年に『二つの山河』で直木賞、2005年に『落花は枝に還らずとも』で新田次郎文学賞を受賞。
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