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早見和真『95 キュウゴー』

青春の日々はなぜ光り輝くのか

【評】北上次郎

書籍データ
95 キュウゴー
早見和真
KADOKAWA本体1600円+税

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 2015年の年末、渋谷公園通りのメケメケという店に広重秋久が向かうところから本書は始まる。星城学院高校2年の新村萌香という女子高生から、社会的な関心事が多かった1995年をテーマに卒業制作を考えているのだが、ついてはその頃に星学で学ばれていたOBの方にお話をうかがいたいと連絡を貰い、秋久が高校時代にたむろしていた店を指定したのである。

 こうして20年前の話が始まるのだなと思って読み進めると(つまりこれは読者を20年前に案内する小説的導入部だ)、もっと構成が凝っていることにあとになって気がつく。しかしそれはずいぶんあとの話で、とりあえずは20年前の秋久の青春が語られていく。

 登場するのは5人組だ。マルコにレオにドヨンに翔。本名は丸山浩一、堺怜王、新川道永、鈴木翔太郎である。秋久がQちゃんと呼ばれているように、彼らはあだ名で呼び合っている。マルコは畳屋の倅で、レオはやくざの息子、翔は政治家の息子だ。翔がグループのリーダーかと思ったらそうではないというくだりが面白いが、このグループに秋久が迎えられて5人組となる。まぶしい青春にはヒロインが必要だが、それがセイラ。このヒロインについてはもっと書きたいところだが、ネタばらしになりそうなので我慢しておこう。ただのヒロインではけっしてない。

 どういう青春が展開するのかはここに書かない。1995年の大晦日に起きた渋谷ファイヤー通りの大騒動については、それがどういうものであったのか、本書で確認されたい。私がここに書いておきたいのは、物語の最初から2015年現在の秋久が描かれているということだ。たとえば、37歳の秋久は7年前に娘が生まれていて、「システム系の会社で営業してる。大学出てからずっと同じとこ。とりあえず毎日スーツ着て会社行ってペコペコしてる」(本人談)ということ。姉は息子の漣砥を産んでから離婚して母と暮らしていることなども冒頭で語られている。他の5人組の現在については、畳屋を継いだマルコとは年賀状のやりとりをしているものの、他のメンバーとはあれから会っていないことなども(翔は忙しいだろうとの述懐がさりげなく語られていることにも留意)、冒頭近くで語られている。

 つまり、これから20年前の青春の話を始めるけれど、そこでどれほど無茶をしようとも、秋久は20年たってサラリーマンになり周囲にペコペコしていて(それにしては卑下のトーンがないことも重要だ)、マルコは畳屋を継いでいると作者は最初に言ってしまうのである。20年前の青春を読む前に、読者はそれを最初に知らされるのである。この構成がいい。なぜなら、青春の日々が光り輝いているのは、無限の可能性がある季節だからではない。青春には終わりがあるからだ。それが過渡期の日々だからだ。この真実を直視しない青春小説にうんざりしている私のような読者は、しごく真っ当な青春小説に出合ったなと思うのである。青春小説は老年の文学である、というフレーズを思い出すのはこんなときだ。終わったからこそ思い出すのだ。過渡期の日々だからこそ思い出すのだ。その良さは老年になればなるほど身に滲みるのである。

 1995年に翔は、「それが一番ダサいからね。あの頃の俺は輝いてたとか、あの頃は毎日楽しかったとか、そんなこと言ってる大人が一番ダサい。ウソでもいいから今が一番幸せだって笑ってられる人間になってようぜ。俺たち、将来も遊んでられたらいいよね。絶対に昔話なんかしないでさ」

 と言ったけれど、そういうふうに思うこと自体も、過渡期にあるからだということを、彼は知っていただろうか。

きたがみ・じろう 文芸評論家

「本の旅人」2015年12月号より転載
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