えっ、このひと、こういう作風だったっけ!? と衝撃のあまり、表紙をまじまじと見直したのが、本書の前作にあたる『スタープレイヤー』だった。シリーズ第一作開始のときのことだ。デビュー作『夜市』のしっとりとして曖昧な異界の感触は、到底忘れられなかった。それが一転、明快でポジティヴなストーリー展開になっていて、その弾み方に、虚をつかれた思いだった。
そもそも、シリーズ一作目の主人公からして凄い。34歳、とそう若くはなく、とりわけ美しくもなく、特技がある訳でもない無職の女性・斉藤夕月。それが、地球から隔たった天体へ召喚され、まったく正反対の女性へと変わっていく。当初は地味な女の願望充足やり直し人生の冒険談かな、と思っていたら、予測は大きく裏切られることになった。うれしい驚きだった。わたしが知っているどの異世界ファンタジーとも違うロジックと迫力を、この作品はもっていたのである。
理由の一つが、見知らぬ世界での頼みの綱とばかりに渡された、のぞみを叶える十個のスターの存在である。スターボードと呼ばれるモバイルをもたされて、十だけは希望を叶えてやる、というお膳立てでスタートした物語は、スターの使い方自体がなかなかの曲者ということがわかってくるにつれ、予想もつかない方角へすすんでいく。想定外の展開は、まさに二十一世紀的だと感心した。夕月はどんどん魅力的になっていった。地味な夕月の人生の裏側に、こんな凛々しい麗しい側面が隠されていたとは。気風のよさに惹き付けられ、落ち込みに共鳴し、その活躍に心から惚れ惚れしたものである。
本書は、その抜群におもしろかった前作をひきついで、別のスタープレイヤーを中心に据えながら、再び驚異のストーリーテリングで読ませる。途中読み終えてしまうのがもったいなくなるほどだった。でも読み終えないと、物語に仕掛けられた構造を見渡すことはできない。そうした物語俯瞰の楽しさに、夕月もちょい役で加担しているのがうれしかった。本書読了後に、前作を再読すると、隠されていた伏線が見えてくるところも、感動的だ。
今回スタープレイヤーとして召喚されるのは、佐伯逸輝。中学生のときに憧れていた同級生の華屋に再会するも、彼女はつきあっていた男に殺されてしまい、逸輝は虚脱状態のまま無為な日々をすごすことになる。で、召喚された彼はいったい何をしたのか?
願望充足やり直し人生が初動の基本というだけあって、スタート地点での彼のスターの使い方は、夕月以上に凄まじいものだった。なにせ死んだ華屋を蘇らせたのみならず、彼女とのありえたかもしれない青春をとりもどすべく、藤沢市自体を異界に出現させるからだ。ただし住人は抜きにして……。
異世界に再構築される無人の藤沢市。それだけでもビックリだが、憧れのひとを死から蘇らせ、そこでデートをする佐伯の行動が胸を打つ。この男のロマンがその後どういう顛末をたどり、どのようなパラダイス建設へと発展してしまうのかが、本書最大の読みどころ。華屋を殺した犯人への復讐にまつわるエピソードも凄まじい。
おもしろかったのが、女性である夕月の願望とちがって、逸輝の異界に対する再構築の方法論が、社会に対して創造的にならざるをえないところだ。男ってやっぱり社会を通して人間と関わりたいという欲望がつよいのかな、と思わせる。
そこに、死から蘇った人々が暮らす様子では、ファンタジーにおける「死」の扱い方について考えさせられた。ゲームと思って気軽に入った世界が、遊びを大きく逸脱し、いつのまにかリアルな人生にすり替わってしまうこと。生き直しにまつわる様々な思索が、死を経由して展開していく過程は、なんだか厳しくも恐ろしい通過儀礼に思われる。ファンタジーを通じて生き直すって、まさにこういうことなのかも、と再認識した次第である。
こたに・まり SF&ファンタジー評論家
「本の旅人」2015年12月号より転載
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