本書は、昨年第4回歴史時代作家クラブのシリーズ賞を受賞し、名実共に文庫書き下ろし部門の第一人者となった作者の新シリーズの開幕を告げる第一巻である。嬉しいことに期待を裏切らない出来となっている。
ところで読者は風野作品の何に魅力を感じているのだろう。作者はこれまで数多くのシリーズを手がけてきた。中でも「四十郎化け物始末」「大江戸定年組」「爺いとひよこの捕物帳」「妻は、くノ一」「姫は、三十一」「猫鳴小路のおそろし屋」等の人気シリーズは、意表を突く題名が示すとおり、オリジナリティ溢れた物語世界と、定石を無視した主人公の造形で、“風野ワンダーランド”とでも言うべき独特の味わいをもったものとなっている。
本書もこの系譜に連なる作品だが、満を持してのものだけに、練りに練った作者の工夫が光っている。主人公は平和が続く江戸で千葉道場の筆頭剣士となっていた秋月七緒。「妻は、くノ一」「姫は、三十一」(共に角川文庫)に続く、作者得意のヒロインものである。長州藩邸用人の娘である七緒は、縁談の席で強盗事件に遭遇する。犯人を撃退し、毒を盛られて動けなくなっていた猫神創四郎を助ける。彼が持っていた刀が徳川家に害を成すと言われている“妖刀村正”だった。彼は将軍直属のお庭番で、〝村正〟を集めるよう命じられていた。その矢先の出来事であった。これが物語の発端である。この発端には、運命的な出会いを契機に惹かれ合う二人の行く手に待ち受ける難関と、〝妖刀村正〟が巻き起こすであろう波乱が込められているようである。緊張感溢れる出だしとなっている。
実は、作者はもうひとつ絶妙な仕掛けを施している。それは冒頭で交わされる七緒と千葉周作の会話に現れている。
《「理由はなにか、いろいろ考えた。平和な時代がつづき、武力の必要が無くなってしまったからだという意見は多く出た」
「なるほど」
「だが、武士だけではない。明らかに町人の男も弱くなっている」
「そうなのですか」
「その反対に、女は強くなっている。じっさい、町を歩いている女を見るがいい。体格もよくなっている。男より背の高い女はざらにいる」》
思わず苦笑してしまった。この千葉周作の嘆きはそのまま現代に通じるものである。重要なのはこれが題名の「女が、さむらい」の受けとなっていることだ。つまり、近頃、男が弱くて仕方がない、という時代性が、七緒の強さと、凜々しさを際立たせるテコとして作用しているのである。これが物語全体を覆うトーンとなっている。軽妙で歯切れの良い語り口はこれを露出させるための手法であり、作者の時代感覚の鋭さをうかがわせるのに充分な仕掛けとなっている。
もうひとつ注目すべきは“村正”を主役級の脇役としてクローズアップしたことである。現在、刀剣に関心が集まり、ブームの様相を呈している。オンラインブラウザゲーム「刀剣乱舞」が、爆発的なヒットとなり、女性層を虜にしているのはその証左であろう。作者はいち早くそこに着目し、物語の緊迫した雰囲気を盛り上げる狂言廻しとして採り上げている。当然、これに剣術の楽しみも加わる。
そう言えば第四章「淫ら村正」の中に、「刀には男刀と女刀がある」といった“刀談義”が出てくる。この条が落語に造詣の深い作者の資質をうかがわせるもので面白い。
余談だが、この条を読んで小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』を思い出した。文中に、雄と雌の本を並べて置くとその間に子供が生まれるとある。サルトルの『嘔吐・壁』とエンデの『はてしない物語』を並べたところ、生まれた幼書が『はてしなく壁に嘔吐する物語』だそうだ。では“淫ら村正”と“血まみれ正宗”の子供は? まあ、こんな楽しみもありますよ、ということで……。
話を本題に戻す。極め付きは多士済々の登場人物が配されていることだ。千葉周作をはじめ徳川慶勝、月岡芳年といった時代を代表する人物にまじり、緋桜錦之丞、小嶋ゆみ江、柳生空也斎といった個性的な面々が、物語を盛り上げる準備に余念がない。2016年の楽しみがひとつ増えた。
きくち・めぐみ 書評家
「本の旅人」2016年2月号より転載
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