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真藤順丈『夜の淵をひと廻り』

異色のコミュニティ・ヒーロー小説登場!

【評】若林 踏

書籍データ
夜の淵をひと廻り
真藤順丈
KADOKAWA 本体2000円+税

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 ミステリには警官をコミュニティの守護者として描く物語の系譜がある。例えば警察小説の金字塔であるエド・マクベインの〈87分署〉シリーズ。登場する刑事たちはみなマンハッタン島をモデルにした架空の町アイソラの住人であり、地元で起こる犯罪に立ち向かう勇敢なヒーローとして描かれている。最近ではマーティン・ウォーカーの〈警察署長ブルーノ〉シリーズなども印象深い。主人公はフランスの緑豊かな農村に赴任したエリート署長であり、シリーズを追うにつれて地元の住民に愛される姿が実に微笑ましかった。

 今回ご紹介する真藤順丈の連作短編集『夜の淵をひと廻り』も一応、その「コミュニティ・ヒーロー小説」とでもいうべき範疇に入る小説だろう。しかし、本作はこれまで書かれた小さな共同体のヒーロー小説とは明らかに違う魅力を持っている。主役となる警官も、そして彼が守るべき街もどこか狂っていて、おかしいのだ。

 舞台となるのは西東京のいくつかの主要都市に挟まれたエアポケットのような都市・山王子。この都市で交番巡査として勤務するシドは職務熱心な半面、ある奇癖を持っていた。彼は同僚から「全住民のストーカー」と揶揄されるほど、極度の詮索魔だったのだ。シドの地域情報に対する執着は異常であり、証明写真の切れ端や給与明細、領収書などを住民の個人情報とともにコレクションした部屋を警官の独身寮に作ってしまうほど。これでは地元のヒーローどころか、ただの変質者としか思えないだろう。しかしひとたび事件が起こると頭の中に詰め込まれた山王子住民のデータベースがフル稼働、シャーロック・ホームズばりの観察力と推理力で刑事課の敏腕捜査員すら出し抜く大活躍をみせるのだ。

 狂気と正気、善と悪。こうした境界線を行き来しながら、世俗の倫理観に囚われない次元でシドは常に物事を考え、行動する。一歩間違えればダークサイドに落ちて染まってしまう、そんなギリギリの危うさに生きるキャラクターだからこそ、シドは読者に強烈なインパクトを与えるのだ。

 そしてシドが各編で対峙するのもまた、境界線を踏み越えた人間である。百二十年に一度起こる無差別殺人の謎を追う「優しい夜の紳士」、3人のコスプレイヤー連続殺人に隠された意外な動機を探る「着飾るヴィジランテ」、入居する住民が軒並み不幸になる賃貸物件に潜む怪物を暴きだす「悪の家」。いずれの短編でも常識では測れない思考の持ち主たちが登場し、読者の社会規範や倫理を激しく揺さぶる。本作は連城三紀彦作品のような狂人の論理を紐解く本格謎解きミステリであると同時に、人間の心の奥底に宿る怪物領域をむき出しにするノワール小説としての味わいもあるのだ。特に「着飾るヴィジランテ」は近年のアメリカ映画でよく見かけるようになった〝あるテーマ〟と共通するものがあり、一線を越えてしまった人間の悲劇を考えさせられる一編になっている。

 山王子という都市が時折見せる妖しい風景もまた、この作品の持つ魅力の一つだ。シドに警句めいた言葉を投げかけては消えていく、精霊のような老人。街の下水道に住みつく、失踪者たちの自助グループ「ハーメルンマン」。こうした都市伝説のような存在が跋扈する場面が挿入されることで、本書は幻想小説のような色彩も帯びることになる。ラストの短編に至っては神話的な陰影も備わったシーンが待ち受けており、夢と現実の壁を突き崩されたような感覚に誰もが陥るだろう。

 それにしても真藤順丈という作家は、捉えどころのない書き手である。激動の戦後アジア史を怪物的な男の一代記とともに辿る『墓頭』のような長大なスケールの叙事詩を書いたと思ったら、本作のような謎解きミステリ・ノワール・幻想小説を短い一編一編に凝縮した、スモールコミュニティでのヒーロー小説も書いてみせるのだから。真藤順丈こそジャンルの垣根や物語の形式を軽々と越えてしまう、境界線上の怪物作家ではないだろうか。

おおもり・のぞみ 書評家

「本の旅人」2016年2月号より転載
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