〝シャーロック・ホームズ〟の名を知らぬ人は、かなりの少数派だろう。コナン・ドイルの小説の主人公であり、全六十篇の作品(通称「正典」)で活躍した名探偵である。 だが〝モリアーティ〟となると、一気にハードルが上がるのではないか。天才数学者にして、シャーロック・ホームズの宿敵たる犯罪王、という人物だが、『シャーロック・ホームズの回想』最終篇「最後の事件」に登場する。
本作はそんなモリアーティの名を冠しているわけだが、著者はアンソニー・ホロヴィッツ。コナン・ドイル財団が「六十一番目のホームズ作品」と公式認定した『シャーロック・ホームズ 絹の家』の作者だ。それに続く公認作品第二弾こそ『モリアーティ』という次第なのである。
要するにコナン・ドイル以外の作家が書いたホームズ〝パスティーシュ〟なのだが、本作は『絹の家』とはまた違った、変化球となっている。何せ語り手はワトソン博士ではなく、〝ピンカートン探偵社のフレデリック・チェイス〟なる人物なのだ。ちなみにピンカートン探偵社というのは実在する探偵会社である。
チェイスはアメリカの犯罪組織の首領クラレンス・デヴァルーを追っていたが、デヴァルーがモリアーティと会合しようとしていた、という情報を得る。そこで彼はホームズとモリアーティ教授が「最後の事件」で対決した、スイスのライヘンバッハの滝を訪ねた。ここで彼は、ロンドン警視庁のアセルニー・ジョーンズ警部と遭遇。デヴァルーの行方を探るため一緒にロンドンへ移動し、以降、協力し行動を共にするようになる。
ジョーンズ警部はシャーロック・ホームズの『四つの署名』に登場する警部。ここではホームズの影響を受けてホームズばりの推理を展開する。気が付けばジョーンズ警部がホームズ役、チェイスがワトソン役として活動するように。次々二人を襲う危機。モリアーティの犯罪組織の残党が暗躍しているのか。彼らを待ち受ける、意外な真実とは……。
「最後の事件」が背景となっているものの、読んでいなかったり、読んだがストーリーを忘れている、という方でも大丈夫。序盤で、改めて語り直してくれるので安心だ。それ以外にもシャーロック・ホームズの〝正典〟由来の要素が登場し、知っている読者は思わずにやりとさせられる。正典に登場するロンドン警視庁の警部たちがずらりと勢ぞろいするシーンは、なかなか見ものだ。ジョーンズ警部がまるでホームズのように決めゼリフを口にしたり、チェイスの過去の行動を推理してみせたりするくだりも読みどころだ。
最後に、ワトソンが語り手となる短篇「三つのヴィクトリア女王像」が収録されているが、もちろん単なるオマケではなく、『モリアーティ』の本筋と密接に関係している(ジョーンズ警部も登場)。
モリアーティ教授を扱った小説としては、ジョン・ガードナー『犯罪王モリアーティの生還』『犯罪王モリアーティの復讐』が有名だが、他にもマイケル・クーランド『千里眼を持つ男』や、ホームズとモリアーティとの関係性が実は違っていたというマイケル・ハードウィック『シャーロック・ホームズ わが人生と犯罪』などがある。比べて読んでみるのも、面白いだろう。
ホロヴィッツは脚本家としても知られ、『名探偵ポワロ』『バーナビー警部』に参加しているほか、2015年8月からNHKのBSプレミアムでも放送が始まった『刑事フォイル』では、シリーズ全体の企画・脚本を担っている。
映画やドラマのおかげで現在、かなり大きな(かつ長い)シャーロック・ホームズ・ブームの波が来ている。ホロヴィッツには、今後も第3、第4四のホームズ物を書いていただきたいところだ。
きたはら・なおひこ 作家、翻訳家
「本の旅人」2015年12月号より転載
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