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佐々木志穂美『目がみえない 耳もきこえない でもぼくは笑ってる』

「ヘンテコ兄弟」の小さな奇跡

【自評】佐々木志穂美

書籍データ
目がみえない 耳もきこえない でもぼくは笑ってる
作:佐々木志穂美 絵:YUME
角川つばさ文庫本体640円+税

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 私にはかなり個性的な三人の息子がいる。長男は、生まれつき最重度の心身障害があり、手足を動かすことも話すこともできない。次男には自閉症が、三男は知的遅れもともなう自閉症がある。たくさんの人に助けてもらったから、ここまで育てられた気がする。

 その恩返しをしたくて介護ヘルパーになった。と言うとかっこいいが、友人に誘われて軽い気持ちで始めて、はまったというのが本当のところ。けれど、バリバリ働きたくても、子供のために色々と制約がある。
「次回は子供の世話をしなくちゃならない日なので、私以外の者がきます」と利用者さんに言うと、そんな小さな子供がいるのかと驚かれる。いいえ、三男は生活介護の事業所に通っているけれど、祭日は休み。夫には仕事があるし、軽度とはいえ障害がある次男に、何をしでかすかわからない三男を託すのは不安。だから休みますと言うと、たいていこんな反応が返ってくる。

「どうして、障害があるお子さんが?」それは私が訊きたいくらいです。
「障害があるのは、手? 足?」……頭かな。あ、長男は全身です。
「事故のせい?」生まれつきです。
「私たちのころは、そういう子はあまり見かけなかったけど」昔もいたんです。

でも、障害児は学校にも通わせてもらえない時代があったの。それに、昔はただ「ヘンテコな子だ」って思われていた子が、今は障害のせいだってわかるようにもなったんですよ。と、なるべくゆっくりと説明する。正確に理解してもらえたかはわからないが、なにかと気にかけて頂いている。私も仕事のあいまに、息子たちのやらかす色々なことを、面白おかしく話す。

 ある方が「息子さんへ」とりんごを差し出してくださった。ヘルパーは利用者さんから物を頂くわけにはいかない。だけどその方は、息子が食べられないから断っていると思われたらしい。「すりおろしてあげれば食べられると思うから」と仰る笑顔を見たとき、「いえ、うちの三男は皮も芯も食べる子です」という言葉を飲み込んだ。同情と呼ぶには温かすぎる笑みだった。

 高齢の方と接していると、ハッとさせられることが多い。自分も助けが必要な身でありながら必死に他人のことを心配したり、認知症が進行している方が深い知性と理性を持たれていたり、日に日に機能しなくなる身体とまっすぐにむきあっておられたり。学ぶことばかりだ。お世話させて頂いているうちに、私自身にあった老いることへの不安が減った。知らないから勝手に怖がっていたのだと気づいた。

 これまで、ハンディのある息子たちが少しでも生きやすい世の中になって欲しくて、障害への理解を訴えてきた。あなたも死ぬまでにはきっとなんらかの障害を負う。子や孫が障害を持つ確率も、それなりに高い。だから、誰もが生きていきやすい世界にしましょう、などと叫んでいても、私も、他の弱者のことを知ってはいなかったんだと気づかされた。

 息子たちの障害について話すと、その方の本質にある優しさを見せてもらえる想いがする。実際に息子たちと時間をすごした人が、その優しさをさらに深化させてくれるときもある。たまたまヘンテコな子が身近にいたことで、心が化学反応をおこしたように。

 一見して「普通」ではなく、近づくことさえ躊躇する人もいる長男に、楽しそうに手をさしのべてくれた子。いつもだれかの助けが必要な三男に、みんなと一緒のことができるようにと考えて提案してくれた子。自閉症のため、人への接し方が不器用な次男に、根気よくつきあってくれた子。

 三兄弟が育つあいだに出会った子供たちの、深い優しさ。それは他人にむかうだけでなく、どんな状況にあっても自分自身を肯定できる心の強さになるのではないだろうか。

 もっと多くの子供に、うちの三兄弟と会ってもらいたい。直接にはむりでもと考えて、この本を書いた。読んでくれた子供たちの心にも、化学反応はおこる。私はそう信じている。

ささきしほみ・エッセイスト

「本の旅人」2015年11月号より転載
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