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中山七里『ハーメルンの誘拐魔』

激しい怒りを立ち上がらせる、中山ミステリの真髄

【評】新井見枝香

書籍データ
ハーメルンの誘拐魔
中山七里
KADOKAWA 本体1600円+税

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 赤信号で飛び出したとか、面倒臭いから病院に行かなかったとか、お賽銭箱からお金を盗んだとか、何か理由をください! あぁ、それじゃあ仕方ないと、どうか思わせてください! そうでなければ、少女たちにどうして?と問われても、絶句するしかない。無責任に頑張れとはとても言えないし、かわいそうと泣かれたくもないだろう。

 世の中には、原因不明の病がたくさんある。しかし、母親の顔を覚えられなくなった十五歳の少女の病は、極めて高い確率で、子宮頸がんワクチンの接種が原因と思われた。ただ、そんな酷い目に遭う理由がない。厚生労働省の子宮頸がんワクチンに関する調べによると、接種後の副反応として、例えば手足のしびれなどの症状があるギラン・バレー症候群は、430万分の1の確率で起きる可能性があるらしい。なぜ自分が430万分の1なのか、その理由は考えたって誰にもわからないだろう。

 架空の物語ではあるが、読み始めてすぐ、このテーマは非常に危険だと思った。私がミステリ作家だったら、絶対に書きたくない。エンタメを求める読者に「あ〜面白かった」と言わせるには、あまりにも重く、痛ましい。しかも、ワクチンによって記憶障害になったと思われる少女が、いきなり誘拐されるのである。酷いにもほどがある! 彼女は犯人の顔を見ても覚えられないから、狙われたのか!? 母子家庭で、生活保護を受けてようやく生きているというのに、さらに奪おうとするのか!? この人でなし! 地獄へ堕ちろ!

 なんだこの激しい怒りは。誰に向かっているのだ。「ハーメルンの笛吹き男」を名乗る犯人か? ネズミ被害に悩まされる街を救ったのに、約束の報酬を支払わない住民に怒った笛吹き男が、街の子供たちを笛を吹きながら連れ去ってしまうという、グリム童話の中の人物。犯人は、ハーメルンの笛吹き男が描かれた絵葉書を、犯行現場に残していた。クソッ、ふざけやがって! 少女を治せない医者にも、責任を取ろうとしない国にも、激しい怒りを覚える。新聞やニュース番組で見聞きしても、他人事だと思っていた自分にすら、怒りを覚える。

 怒り、悲しみ、苦しみ。

 極限まで負の感情をパンパンに膨らませた人間は、笛吹きの名手にとって、ネズミより御しやすい相手だ。もう、この状態をどうにかしてくれるのなら、たとえ火の中水の中。笛の音に縋るように、ページをめくり続けるしかない。あの、中山七里のニヤリ顔が目に浮かぶ。ピエロのようにおどけて余裕たっぷりに笛を吹き、その素晴らしい演奏に感動させつつも、どんでん返しという強烈な落とし穴を用意し、ネズミは一匹残らず、捕獲される。

 誤解を恐れず正直なことを言うと、読み終えた時の私の第一声は「あ〜面白かった!」だ。不謹慎だと怒らないでほしい。事象は全くのフィクションで、現象はまさにミステリ。現代にハーメルンの笛吹き男が現れたとしか思えない、あまりにも犯人にとって難易度が高い誘拐事件が発生し、さすがにすぐ解決するだろうという予想は裏切られ、膨大な数の優秀な警察官と、狡猾な医者と官僚と、心配で胸が張り裂けそうな被害者の家族が巻き込まれるストーリーは、その真相のわからなさに、その必死さに、思わず笑ってしまうほどだ。なんなんだ。なんで笛吹き男は捕まらないんだ。気が触れたように、すごい勢いでページをめくる。頭の中で狂ったように鳴り続け、どんどんクレッシェンドして、アッチェレランドする笛の音に浮かされて、先へ先へと進んだその先には!

 ミステリ作家が腕を組んで、片足をちょんと前へ出して、待っていた。ポカンとするネズミたちを、満足げに見ていた。誘拐する笛でなく、ペンを片手に、ニヤリと笑って。

 テロリストや原発など、発禁スレスレのタブーに挑み続けても、決して炎上しない作家、中山七里。ほとんど取材もせず、なぜ想像だけで現実世界とリンクすることを書いて、どこからも抗議されないのか。それは、想像をして書いているからだ。

 大切なのは、とことん想像することなのだと、中山作品は教えてくれる。その誠実さに、読者も思わず攻撃の拳を下ろし、誠実になってしまうのだ。

あらい・みえか 三省堂書店 池袋本店

「本の旅人」2016年2月号より転載
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