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群 ようこ『うちのご近所さん』

ちょっと困った「近くの他人」を面白がる

【評】宮脇眞子

書籍データ
うちのご近所さん
群 ようこ
KADOKAWA 本体1400円+税

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「遠くの親戚より近くの他人」。昔の人はうまいことを言った。持ち家であれば生涯暮らすことになるかもしれない我が家。気持ちのよいお付き合いのできるご近所さんほど有り難いものはない。ここでふと考える。その真逆な隣人だったらどうする? 「遠くの親戚」であれば、どんな因業なじいさんばあさんであっても、たまの冠婚葬祭のときだけ適当にやり過ごせばいい。だがご近所とは嫌でも日々の付き合いというものが生まれる。どんな隣人かによって、くつろぎの空間が地獄へと変わりもするのだ。

 そんなとき一体どうすれば? 群ようこさんの新刊『うちのご近所さん』は、しっかり笑いをとりながら、人付き合いに悩む読者に心の持ちようを教えてくれるのは勿論、群さんの作品がいつもそうであるように、日常に優しく風穴をあけてくれる連作短篇集である。

 主人公のマサミは会社勤めの四十歳独身女性。生まれたときからずっと実家で両親と暮らしている。本作はマサミの子供時代から現在まで、神出鬼没に現れてはマサミをぎょっとさせる、ちょっと困ったご近所さんをめぐる八つの物語。マサミの家は察するに中の上くらいの暮らし向きの人々が住む町にあるようだが、住人は強烈で、しかも「あー、知ってるこういう人!」といちいち膝を打ちたくなるほどリアルだ。例えば、各家庭のプライベートな話を熟知しているヤマカワさん。朝も夜も家の前を掃いていて「ほうきには、ご近所の噂の種になるものを察知する、秘密兵器でも組み込まれているのでは」とマサミが思うほどだ。

 そのほかにも、強欲で身勝手で、奥さんにも近所の子供にも怒鳴り散らす、町内一の嫌われ者ギンジロウ。「白い長い布きれを振り回しながら、ひょろろ~という笛の音に合わせて、祭壇の前で踊る」ひょろろん教を熱心に広めるセトさん。四角い顔が気になる幼なじみのオサムくん一家。独り暮らしで人付き合いを好まない、なぜかいつも白塗りのセンダさん。アパートの店子にほとほと手を焼いているバンバさん。町内の皆が憧れる、素敵な老夫婦センドウさん。そして、安くてうまいと評判の料理店を経営するインド人一族。

 マサミは個性豊かなご近所さんによってしばしば災難に遭う。小学生のときはセトさんからひょろろん教に誘い込まれそうになり、大学生のときは元々地主だったギンジロウから「おれのおかげで、お前らはここに住めるんだ」と詰め寄られ、ヤマカワさんにはマサミの父の恥ずかしい話を知られてしまい、読みながら「マサミちゃん、ほんとにやれやれだね……」と声をかけたくなる。でも、どうしてだろう。「嫌だ嫌だ。こんなところには住みたくない!」とは決して思わない。おそらくそれは、ほかの誰でもない、マサミのキャラクターによるものだと思う。どんなに困ったご近所さんであっても人格の全否定はしないのだ。

 マサミは、「この人は何でこうなったのか」と好奇心を持ち、面白がる。想像し、思いやる。「白塗りのセンダさん」では、「おばけみたい」と噂されるセンダさんの化粧のわけを暮らしぶりから推しはかる。人格者と称えられるセンドウさん夫婦の、優しさの底にある深い悲しみを察する。それは詮索好きや覗き趣味とは対極のものであって、ご近所付き合いのヒントでもあるし、生きる秘訣かもしれない。

 さて、そのマサミ、娘の常かもしれないが両親に厳しい。うちの親がセンドウさん夫婦になれない理由がよくわかる、みたいなことを言う。でもね、マサミちゃん。たしかにお父さんは金髪女性に入れあげたり、お母さんはヤマカワさん並みの事情通だったり、困ったところもあるけれど私はこの二人が好き。例えば「『(……)ギンジロウさんがね』母は呼び捨てにはしないのだ」という件に、ハッとさせられました。両親が適度に間の抜けた常識人だからこそ、マサミちゃんみたいな心根のよい娘が育ったのではないかしら。

みやわき・しんこ フリー編集者

「本の旅人」2016年3月号より転載
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